こんにちは、愛弓です。
つい先日のこと、ふと、『ブログや文章を書くことが好きなんだな~』と自覚しました。
好きなことって、わざわざ『好きだ~』って思いながらやらないんですよね。
ただ一生懸命になってたり、『逃げる』っていう発想がないまま向き合っていて…。
ふとした瞬間、『あっ、好きなのかもしれない』って思って、『好きなんだな~』って自覚していく。
好きなものを『好きなんだ』って気づくのは、出会う前でも、はじめてすぐでもなくて…。
好きなモノと一緒にいろんな経験をしてからとか、それを手放しそうになった時とか、手放した後なのかもしれないなって。
学生時代は、『みんなのように夢中になれるものなんてない』とか『好きなことがわからない』なんて悩んだ時期もあります。
セラピストになってからも、『”癒し”や”心”、”人と関わること”…仕事に関係のあることをのぞいたら、好きなことなんてないな』なんて思っていたので、趣味や好きなことを聞かれるのが嫌でした。
まぁ、1番好きなことを仕事にした時点で、『仕事=遊び・好きなこと』になるのは当たり前なんですけど…(^^;
仕事と直接は関係のない趣味がある人も多いので…そういう趣味を持っていない退屈な子だと思われてしまうのが嫌だったんですよね。
今になって考えると、当時の私は…
趣味や好きなものを聞かれるたび、『私は、「これが趣味です!」「これが好きです!」と堂々と語ることのできない。趣味も好きなこともない退屈な人間なんだ…』と自分自身に暗示をかけていたのかもしれません。
そして、いつの間にか、「私には、他の人のように趣味や好きなものがないんだな…」と思い込んでいました。
でも、自分が気づいてないだけで、好きなモノって、本当はすごく身近にあることが多いんですよね。
少なくとも、私はそんな感じのことが多かったと思います。
先日、『ブログや文章を書くことが好きなんだな~』と自覚したので…今回は、そのことをひたすら書いてみようと思います。
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ブログや文章を書くことが好きみたい。
先日、noteを書きながら、初めて自覚してしまった。
私は、文章を書くことが好きらしい。
こうやってブログを更新してることが楽しいらしい。
別に、パソコンに向かって笑いながら、『楽しいな~ ウフフw』と思って書いてるわけじゃない。
誰かのように、文学的な文章を書けるわけでもないし、正しい日本語を使える訳でもない。
楽しい話を書いて誰かを笑わせることが得意なわけでも、誰かのためになる話を教えてあげることができる訳でもない。
別に、ブログや文章を書くことに対して、ものすごい自信を持ってるわけじゃない。
それでも私は、こうやって文章を書くことが好きなんだと思う。
”文章を書くこと”が恐くて逃げた、過去の自分。
- 幼い頃は、誰にも渡さない手紙を書いて、机にしまってたな~。
- 小学生の頃は、クラスの男の子と作文の枚数を競ったことがあるな~。
- あの頃は、『先生は、作文を読まずに捨ててるはず』と思い込んで、言葉遣いとか、誰にどう思われるかなんて考えず、思いつくままに作文を書いてたんだよね。
- 中学生の頃には、泣きながら作文を書たら、入賞したことがあったな~。
ブログを書くようになって、”書くこと”を思い出してみたら、いろんな記憶がよみがえってきた。
『昔は、”文章を書くこと”が好きだったのかもしれないな』と感じたし、そんなことは、すでに自覚してるつもりだった。
でも、昔の私が”文章を書くこと”が好きだったとしても、今の私は違う。…そう思ってた。
私が文章を書いていたのは、中1までだった。
机にしまっていた手紙が、母に見つかり、笑われた。
人を好きになる気持ち、苦しい気持ち、死んでしまいたいほど孤独な気持ち…自分の本心を笑われ、からかわれるたび、ぶわーと何かがこみあげるような鳥肌が立つような感覚になった。
母を怒ることも、自分の気持ちを主張することもできなくて…私はただ言葉にはならない言葉を飲み込むように、感情も飲み込んだ。
そんなことを繰り返すうちに、手紙を書くことをやめてしまった。
誰にも言えない気持ちを表現できる場所を失ってしまった。
小学校5・6年になれば、”周囲にどう思われるか”を気にして、思うままに作文を書けなくなってしまった。
それどころか、『この先生には読まれたくない』『何を考えてるかを知られたくはない』という思いが強くなって、作文が苦手になった。
本心を書くのが、こわくなった。
みんなと違うことにおびえて、『普通でいたい』と思った。
『普通の子たちは、どんなことを書くんだろう?』
作文を書く時は、誰かのマネをしたり、当たり障りのないことを書いた。
入賞した作文は、漢字が書けていないことや、めちゃくちゃな文章を書いてることを怒られて、『私は、恥ずかしいことをしてしまった』と思った。
自分の中で、人生の汚点にしてしまったんだと思う。
しかも、『学年でいじめられてる』と感じていた私にとって、学年集会で作文を読んだという経験は・・・。
とにかく私は、文章を書かなくなってしまった。 自分の失敗が、”文章”になって、文字として形が残ってしまうことが恐くなった。
それでも今、『文章を書くのが好きなんだよな~』と思った。
ブログを書いてる時は、泣いたり、にやけたりする。
ブログを書く時は、カフェに行くことが多い。
そして、文章を書きながら泣いたり、にやけたりしてる。
はたから見たら『変なヤツだな~』『あやしいな』と思われてるだろうけど、文章を書きながら感情が溢れる瞬間があるのは、仕方ないと思うことにした。
にやけそうになったら顔を隠したり、笑いをこらえたりする。
泣きそうになったら、誰にも見られないように静かに涙をぬぐう。
たぶん、いつもの私だったら、”カフェでブログを書く”のをやめると思う。
でも、やめられない。
私は、家では集中できないし、自分の思いを表現できない
だから、カフェに行くしかないと思っていて。
周囲の人たちに『ヤバい人だ!』と思われないように自分を守ってブログをやめることよりも、”ブログを書く”ことを選んでしまう。
うまく説明できないけど・・・・やっぱり、”ブログ・書くこと”が好きなんだと思う。
周囲を気にせず、自分らしく書くのが好き。
何かを『書かなきゃいけない』と焦っていたり、『みんなに解るように』『人に不快な思いをさせないように』と思うと、文章を書くことができない。
頭がパンパンになって、何も思いつかなくなってしまうか、意味の分からない堅苦しいい文章ばかりを書いてしまう。
私は、自分のペースで、自分の書きたいこと、今の気持ちなんかを書いてるのが好きらしい。
自分の感覚を表現するのが好きらしい。
私は、そういう文章を書くのが好きみたい。
書き続けたのは、好きだから。
私はまだ、『”書くこと”が好きなんだ』って自覚したばかり。
でもさ、好きじゃなきゃおかしいんだよね。
確かに、私が文章を書くようになったのには、理由がある。目的がある。
『セラピストとして感じてきたことを伝えなきゃいけない』と感じ続けたからだったし。
『ブログを書いたほうが良いんだな』と感じるような流れがたくさん来たからだったりする。
そこに嘘はないし、私は『ブログは、自分の夢を叶えるための【1つのツール】だ』と思っていた。
『私は、ブロガーになりたいわけじゃないし、ブログで稼ぎたいわけじゃない。ただ、ブログを通じて伝えたいことがあるだけだ。』
『ブログを通じてたくさんの人に出会い、もっとたくさんの人に癒しを届けたい。』
とにかく、私にとって【ブログは、1つのツールなだけ】という認識だった。
”ブロガー”という肩書よりも、”セラピスト”という肩書の方が自分に近いような気がしてた。
それでも、既存の”セラピスト”という枠の中に納まりきらない私は、”ブログ”というツールを使って、私なりに”セラピスト”という枠を作りたかった。
むしろ、”セラピスト”という枠がなくても、”私の感覚”を表現することで、”愛弓”という1人の人間として、たくさんの人に癒しを届けたかった。
とにかく、私にとってブログというのは、【1つのツール】にすぎなかった。
『たくさんの人と出会える環境が作れたら、ブログは書かなくなるんだろうな』と感じていた。
でも私は、「誰かを想定して書く」とか「キーワードを狙って」とか…そういう頭で考えた書き方はしたくなかった。
そんなことよりも、自分が『書きたい』と思ってることを書いたほうが良いと思ってた。
セラピストになってからの経験や、感じてきたこと、感覚、考えたこと…そういうものを書いていけばいいと思ってた。
いざ書こうとすると、うまく言葉にできなかった。
全てがわかってるかのように、偉そうに書くのは違う。
何かを教えるために書くのではなく、自分の体験を通じて、必要なことには自ら気付いてほしい。そういう文章を書きたい。
周囲の反応(傷つく人がいないか・誤解されないか)を気にして、自分の考えを伝えられなくなったりもした。
ブログを書きながらいろんなことを考えて、いろんな遠回りをしたと思う。
ブログを書くのをやめて、『旅人になってみよう』とリュック1つで沖縄方面を旅したのもいい経験だった。
とにかく、ブログを書くようになってから色んなこを悩んで、うまく進めなくて・・・そんな状態でたくさんの時間が過ぎた。
でも、旅行をすれば、ブログを書きたくなる。
楽しいことがあれば、頭の中でブログのように言葉が流れる。
ぼ~としてても、頭の中で、ブログみたいに言葉が流れる。
いや、どう考えても、ブログ好きじゃん!って。
「ブログを書いても結果が出なかったら、嫌になってやめてしまう人が多い」とか、「誰も読んでくれなくて、ブログ仲間もいなかったら、嫌になっちゃうよ」なんて言ってる人がいたけど、私は大丈夫だった。
そりゃ、『寂しいな』と思うこともある。
でも『ブログをやめよう』と思ったことはない。
私はずっと、『セラピストとして、帰る場所がないからだ』とか、『”自分の感覚”を最大限表現して、今の私にできる”最高の癒し”を提供するには、ブログを書くしかないからだ』と思ってた。
私は、『お客様のためにならない』と感じることをできない。
『もっと~した方がお客様のためなのにな』と感じながら、それを伝えられないのは嫌だ。
だから私は、ここから逃げて、過去にいた場所に戻ることはできないと思ってた。私がブログを書き続ける理由は、それだけだと。
でも本当はさ、やりたいことを叶える方法は1つなんかじゃない。
ブログ以外にだって、たくさんの選択肢があるんだよね。
それでも『逃げたくない』と思ったのも、ブログを選んだのも…ブログや書くことが好きだったからなんだろうなって。
自分で認めることができなかっただけで、私はずっと”書くこと”が好きだった。
”自分の感覚”を素直に表現したいと思ってる。
それだけなんだよ、きっと。
自覚しなくても、好きなモノは身近にある。
私は、自分が好きなモノを『好きだ』と自覚してないことも多い。
自分でも気づかないうちに一生懸命になっていたり、『逃げる』『やめる』という選択肢がないまま向き合っていたりする
時には、別の言い訳を作って、そこにばかり向かおうとしてたるする。
『~ができないから』『他に居場所がないから』と言い訳をして、好きなことばかりしようとしてる。
表面的に見てそれが良くても悪くても、誰が何を言ったとしても…好きなモノは、好きでいいと思う。
たとえ才能がなかったとしても、自信がなかったとしても、好きなモノは好きでいい。
好きなモノを自覚できても、できなくとも…向き合えるものがあるなら、それでいいんじゃないかなって。
そんなことを思った。
もしかしたら、私が「文章を書くことが好き」と言うための言い訳かもしれないけれど…