こんにちは、愛弓です。
先日、アドセンスの審査を通過して、広告を貼れるようになりました。ありがたい。
アドセンス合格までの流れもブログに書いてあるので、読んでもらえたら嬉しいです。
価値がないのかな? 文章に自信がなかった私の【アドセンス体験談】
Google AdSenseから『おめでとうございます!』とメールが来たあと、『アドセンスの審査が簡単になったのかな?』と思いました。
でも実は、
自分の文章に自信がなかったり、自分の文章を否定されるのが恐くて…。
『アドセンスの審査は難しい』と勝手にハードルを上げてただけなんじゃないかなって思いました。
なので今回は、
『アドセンスの審査は難しい』と自分でハードルを上げてしまってる人がいたら、もう少し気持ちを軽くしてあげられればいいなって思って書いています。
愛弓(あゆみ)
自信を持つのが恐かったのかも。
『アドセンスの審査が簡単に?』と考えたのは、自分の心と向き合うためのきっかけであり、実際にアドセンスの審査が簡単になったか否かはわかりません。ご了承ください。
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アドセンスに合格したのに、まだ1次審査だと思ってた。
Google AdSenseから『おめでとうございます!』とメールが来たとき、素直にうれしかったです。
で、そのあとすぐに、『この後、2次審査なのかな?』と思っていました。
メールに書いてある通り、アドセンス広告を貼って…『準備はこれでいいのかな?』『次は、どこに申し込めばいいんだろう?』と探していました。
結局、もうアドセンスの審査には通って、広告も貼れるようになったので問題はなかったようです。一安心。
『最近は、アドセンスの審査が難しくなってるみたいだよ』
『アドセンスの審査には、1次と2次があるんだよ』
そんな噂を聞いていたので、勝手に『次は2次審査だ!』と思い込んでいただけでした。
で、そのあと思ったんですよね。
『あれ? アドセンスの審査が簡単になったのかな?』と。
『審査が簡単になったのかな?』と思ったのは…自分の文章に自信がなかったから。
『アドセンスの審査が簡単になったのかな?』と思った私は、妹にも話しました。
「アドセンスの審査って、難しくなってるって噂だったじゃん?
でも最近はまた、簡単になってきてるのかな??」
「誰かのためになるような記事を書いたつもりはなくて、ただ体験したこととか思ったことを日記みたいに書いただけなんだけど…アドセンス合格したみたい…。
自分でも、なにがOKだったのかわかんないんだけど…なんか不思議だよね」と。
自分で「アドセンスの審査が簡単になったのかも」と言ったくせに、「じゃぁ、簡単になったのかもね。」と言われたとき、心の中がちょっとだけモヤっとしたんですよね。
たぶん、単純にアドセンスの審査が簡単になったかどうかの問題じゃなくて、心の問題なんですよね。
その後、Twitterを見てても、『最近はアドセンスの審査が甘くなったよ~』なんて書いてる人には出会わなくて…ただただ不思議だなって思ってました。
で、ふと思いました。
『もしかしたら、アドセンスが簡単になったんじゃなくて、自分の文章に自信がなかっただけじゃないのかな?』と。
『アドセンスは難しい』と、勝手にハードルを上げてただけ。
『アドセンスの審査に通るためには、人のためになる情報をわかりやすく提供しなきゃいけない。私には、そんなことできてない』
『アドセンスの審査は、めちゃくちゃ難しいモノ』
『私の文章なんかが、アドセンスの審査に通過するわけがない』と思い込んでただけなんですよね。
勝手に、アドセンスの審査のハードルを上げて。
逆に、自分の文章に自信がないから、『自分の文章が審査に通るわけない』って思いこんでたんですよね。
だから、『アドセンスの審査が簡単になったのかな?』って思ったのかもしれないなって。
(本当に審査が簡単になった可能性もないわけじゃないけどね…)
私の場合は、『アドセンスの審査は難しい』『私のブログじゃ無理だ』と思い込んでいたので、なかなかアドセンスの審査に申し込むことができませんでした。
誰に笑われるわけでもないのに…恐かったんですよね。
なので、もし、『アドセンスの審査は難しいから、私のブログじゃ無理かもしれない』とアドセンス審査のハードルを上げて、審査を受けるのが恐くなってる人がいたら…
ただの思い込みかもしれないから、とりあえず審査を受けてみてもいいんじゃないかな~と思います。
自分の文章に自信を持つのがこわい。
でもね、もしもアドセンス審査のハードルを上げてただけだったら、
『アドセンスの審査が簡単になったのかな?』なんて思わないんですよね。
もしも”誰かのためになる文章”という条件があるのなら、
『誰かのためになってる』もしくは『誰かのためになる可能性を持ってる』と感じてもらえた…とか。
なんというか、”審査に通った”ということは、本来、もう少し自信を持っていいんだと思うんですよね。
なのに私は、自分の文章に対する評価は低いままで、自信を持つ気配がない。
むしろ、『アドセンスの審査が簡単になったのでは?』なんて思ってる。
なんか変ですよね。
私は、『自分がめちゃくちゃ素敵な文章を書いてる』なんて思いません。…思えません。
でも、本当は『ちゃんと文章をかけてるんだ』と自分を認めてあげてもいいんじゃないかなと。そんなことを思いました。
たぶん私は、自分の文章に自信がないんじゃなくて…。否定されるのが恐いんですよね。
だから、自分の文章のダメなところばかり探して。他人の文章と比較して、また自分の文章を否定する。
そうやって、自分の文章を低く低く見積もってるんです。
自分の文章に自信を持つのが恐いんですよね。きっと。
ブログを書き始めた時、否定された気がした
ブログを書き始めたころ、私のブログを読んで、意見を言ってくれた人がいました。
- 「意味が解らない」
- 「こんなの、誰にも伝わらない」
- 「そんなことできるなんて、本気で思ってるの?」
彼女は、「自分の意見を言っただけだ」と言うけど…私は、自分の文章を否定されたような気がしたんですよね。
さらに続く言葉に、自分の価値観や夢まで否定されたような気がしました。
そのあとも、ちょっと言葉を間違えたり、ニュアンスが違っただけでして指摘されるような生活になって…。
いつのまにか、自分の意見を主張したり、感情を表現することさえもできなくなりました。
私は、文章を書くのが恐くなっちゃったんですよね。
自分の内側にあるものを言葉にするのが、恐くなっちゃったんですよね。
自分の文章を否定されて、自信をなくして動けなくなっちゃうのが恐くなっちゃったんっですよね。
だから、自分の文章を否定されないように、自分の心が傷つかないように…自分の文章を否定してるのかもしれません。
自分で自信を持つことがないように。
だけどね、たった一人に否定されただけで、そこまで落ち込む必要も、自分を抑え込む必要もなかったんですよね。本当は。
たぶん、この体験で自分を抑え込もうとするようになったのには、もっと違うきっかけがあるんだろうなと。
中1のころ作文が入賞して、書くのが恐くなった。
中学生の時、1度だけ作文が入賞して、本に載せてもらったことがあるんですよね。
まぁ、ちょっと感動的な体験があったおかげで入賞しただけで、私の文章がどうって話じゃないと思うんですけどね。
ただ、作文が入賞したことを知った時、めちゃくちゃ嬉しかったんですよね。
自分の作文をほめてもらえた気がして。自分の文章を認めてくれる人がいたような気がして。とにかく嬉しかったんですよ。
先生も「すごいじゃん!」「よかったね」って喜んでくれて、すごく嬉しかったんですよね。
家に帰って母に報告したら、当然、母も喜んでくれるものだと思って疑いませんでした。
でも現実は、喜んでもらえなくて。ダメな文章だと怒られてしまいました。
本に載ってる他の子たちに比べて、文章が幼稚で、漢字が書けていなくて…
私は、恥ずかしくなりました。
そんなダメな文章を書いてるのに、それが本に載って、いろんな人に読まれて。学校では手紙にも載って、学年集会でも読まされて…。
もしも喜んでいなければ、『自分の作文が認められた』なんて過信しなければ…こんなに恥ずかしい思いをすることはなかったのに、と。
それまでは作文を書くのが好きだったのに。文章を書くのが嫌いになりました。
ブログを書くようになって、言葉にはできない思いを作文や手紙に書いてたことを思い出しました。
『文章を書くのが好きだ多んだな~』と過去のことを思い出し、自分の中で整理がついたような気がしていました。
でも実際には、『文章に自信を持つことが恐い』という思いが、わたしの中に残っていたんだなと。
自分の中にあった気持ちに気づいたのいうことは…
こうやって、過去の体験から『文章に自信を持つのがこわい』と書いたのは…『自分の文章に自信を持つのが恐い』という思いが、自分の文章を否定することに繋がってると感じたからです。
そして、自分の文章を否定することは、自分の文章を低く低く設定することになり。
自分の文章に自信を持つことがないように、『アドセンスの審査は難しい』と思うことに繋がってるんじゃないかなと。
今回のことは、【アドセンスの審査に通った】という体験だけです。
でも、それがきっかけになって、自分の文章に自信を持つのが恐かったことに気づきました。
”気づいた”ということはきっと、その恐怖にとらわれ続けるのではなく、進んでいくという選択なんだろうなと。
そんなことを思ったブログでした。