こんにちは、愛弓です。
読んでくれる人が少なかったとしても、まだ収益が生まれていなかったとしても…
”今、パソコンを使ってブログを書いてる”
それだけでも、私にとってはものすごいことで…奇跡的なことなんだなって。
そんな風に気づかせてくれたのが、今日のブログです。
過去の自分が持っていたものを思い出して『あの頃はよかったな~』と過去を振り返っていても、今の自分に自信を持って進めない時がある。
誰が認めてくれなかったとしても、まだまだ実績がなかったとしても…
今の自分が持ってるものを自分自身が認めて、信じてあげることが大事なのかもしれないなって。
自信をもって一歩踏み出したいときに大事なのは、過去の自分がどんなにすばらしかったかではなく、今の自分が何を持ち、何を感じ、どう進んでいきたいかなんですよね。きっと。
今の自分が持ってるものに気づくことが大事な時だったから、こういうブログを書いたのかも入。そんなことも思いました。
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自分のパソコンでブログを書いてる…それだけでものすごい奇跡
自分のパソコンを持っていて、こうやってブログを書いてる。
どれだけの人が読んでくれるかとか、どれだけの利益が生まれるかなんて関係ない。
こうやって、パソコンを使ってブログを書いてる。
それだけで、それだけでもう、私にとってはものすごいことなんだ。
2011年、セラピストになった私は、自分がパソコンを買うなんて想像もしなかった。
学生時代だってそうだった。
こうやって文章を書いてることだってそう。
たった数人だけだったとしても、こんな私の文章を読んでくれる人がいる。そんなこと、全く想像できなかった。
わたし自身が、そんなことをするなんて考えもしなかった。
文章を好きだったなんて、思いもしなかった。
だから今、何も結果を出せなかったとしても、望むものがまだ手に入っていないかったとしても…
こうやって自分のパソコンを使って、ブログを書いてる。
たったそれだけで、ものすごい奇跡なんだと思う。
文章を書くなんて想像できなかった。ブログを書けること自体が奇跡
もう手紙なんて書くもんか!
小学1年生の私は、手紙を書いては机にしまった。
それが見つかって読まれるたび、恥ずかしい思いをした。
大好きな人、その人への気持ち。
苦しくて逃げだしたくて、でも逃げ出せなくて…そんな苦しい思いを書いた手紙。
死ぬことから逃げるために、生きるために書いた遺書。
いろんな手紙を読まれて、笑われて…恥ずかしくて。
『もう手紙なんて書くもんか!』って思うのに、気づけば書いてた。
文章を書くことから逃げた
『誰にも文章を読まれたくない』と思うのに、作文を一生懸命書いた。
クラスメイトと作文の枚数を競ったりもした。
誰にも読まれたくないから、『先生は、生徒の作文なんて読まずに捨ててるんだ』と思い込んだ。
『頭のいい子、クラスの人気者の作文だけ読んで、私の作文は読まずに捨ててる』と思い込んだ。
その思い込みのおかげで、私は作文をかけたんだと思う。
誰にもぶつけられなかった感情を作文にぶつけた。
『ねぇどうして?』母にぶつけたかった感情を、曾祖母に伝えたかった気持ちを…どこにも行き場のなくなった感情を作文にぶつけた。
作文を書きながら泣いて、泣いて…泣きながら書いた。
感情をぶつけたら、すっきりしたような気がした。
忘れた頃に入賞の連絡がきて…ただ嬉しかった。何かを認められたような気がした。
だけど、母の一言で世界は一変した。
私は、恥ずかしい作文を書いてしまった。浮かれてしまった。
なのに、その作文が本に載って、学校でも印刷して配られた。みんなの前で、作文を読まなきゃいけなかった。
『どうして私だけが…』『作文なんて書かなければ…』
文章を書く事が恐くなった。無意識に避けるようになった。苦手意識は、どんどん強くなった。
文章を書くことなんて忘れてしまった。
『自分には無理だ』と抑え込んでた私には、ブログを書くこと自体が奇跡だった
私の周りには『いつか小説を書きたい』と言う友達が数人いた。
『すごいな』『この子なら、いろんな言葉を知ってるし、話がうまいし…』
「きっと大丈夫だよ! ○○ちゃんならできるよ!」「もしも本を出すときは、教えてね~絶対読むから♪」その時の言葉に嘘なんてなくて、本気だった。
でも同時に、心の中で何かがうずく。
『うらやましい』『書きたい』『私も…』飛び出そうになる感情を抑え込んだ。
『私には文章なんて書けないでしょう? 今まで書いてこなかったでしょう?』
私が、文章を書くことになるなんて、想像もしなかった。文章を書くことが好きだったなんて、考えもしなかった。
だから今、こうやってブログを書いてる。文章を書いてる。
たったそれだけで、ものすごいことなんだと思う。私にとっては、奇跡的なことなんだと思う。
『アナログ人間でいい』と思ってた私が、パソコンを使ってること自体が奇跡
セラピストになって数か月、私はアナログ人間になることにした。
今までの人生の中で、たいしてネットに興味もなかった。いや、携帯電話は好きだった。でも、パソコンなんて興味がなかった。
周りの友達がパソコンを持っていても、『パソコンが欲しい』なんて思わなかった。
就活だって、当時付き合ってた人にパソコンを借りて…必要最低限。
セラピストになってからは、本当にパソコンを使う機会が減ってしまった。
知らない症例と遭遇した時、お客様の質問に答えるヒントが欲しい時、新しい手技を学びたい時、売り上げを計算するとき…
そこまで、パソコンを使うことはなかったと思う。
人とのかかわりの中で学ぶことの方が圧倒的に多かった。
足りない分は、本屋さんでたくさんの本を眺めたり、実際に本を読みながら学んだんだと思う。
お客様のことを想像しながら手紙を書くのは楽しかった。
手書きはめんどくさい。毎月100通以上…大変だけど、お客様一人一人を思いだす時間があるのは嬉しいことだった。
ティッシュ配りだって、店外での声掛けだって楽しかった。
デジタル化が進む世の中で、人のぬくもりを感じることが少なくなるからこそ…アナログの魅力は増すと思った。
まぁ、そんなのは言い訳なんだけど…とにかく『私はアナログでいい』と思ってた。
『ちゃんとブログを書いてみたい』と思うようになった時、初めてパソコンを買った。
本当は、『ブログなんてスマホでも書ける』と思ってたし、実際にスマホで書いてた。
だけど、Wordpressを開設するとき「パソコンじゃなきゃ難しい」と言われ、パソコンを買うことにした。
『アナログ人間でいい』と思ってた頃の私は、こんな未来を想像もしなかっただろう。
あの頃の私は、アナログを選んでいたのではなく、デジタル化していく事が恐くて、逃げていたのかもしれない。
今でも、手書きの手紙は好きだと思う。お客様を想像する時間があるのは幸せなことだと思う。
手書きのポップとか、手作りの装飾も好き。
でも、『アナログでもデジタルでも対応できるけど、あえてアナログを選ぶ』のと『デジタル化するのが恐いから、『アナログがいい』と思い込んでアナログでいる』のとでは、ぜんぜん違うと思う。
だから今、こうやってパソコンを使うようになってよかったなと思う。
『この場合はどちらがいいか?』と考える選択肢が増えるから。
『アナログ人間でいい』と思って、デジタル化していくものを避けようとしてた私にとって、こうやって自分のパソコンを使ってるということ自体が奇跡的なことなんだと思う。
ブログを書いたり、SNSを使ってみたり…今まで避けていたものに触れるたび、自分の世界を広げていける楽しさがある。そんな風にも思えるようになってきた。
最後に
今、自分のパソコンを使ってブログを書いてる。
読んでくれる人が少なかったとしても、まだ収益が生まれていなかったとしても…”今、パソコンを使ってブログを書いてる”。
それだけでも、私にとってはものすごいことで…奇跡的なことなんだなって。
今日はただ、そんな話をしてきた。
今までの私は、『ブログを書こう』と思うたび、セラピストだった頃の(過去の)私のことを考えてたような気もする。
『セラピストだった頃はよかったな~』という気持ちがあって、あの頃の何かを目指していたようながする。
文章をうまく書けない私は、結果をまだ出せていない私は、誰かの役に立ってる実感もない私は、自分の居場所がここであってるのかがあ不安な私は…
ブログを書き始めてからの私は、今この瞬間の自分に自信がなくて、過去にすがりつこうとしてたんだと思う。
”今、パソコンを使ってブログを書いてる”…それだけでも、私にとってはものすごいことで、奇跡的なことなんだなって。
それは、過去の私が想像もしなかったようなすごいことで、過去の私にとってはものすごく奇跡的なことなんだなって。
今の私は、収入があるわけじゃない。たいした実績もなければ、『誰かの役に立ててる』という実感もない。
それでも、今の私には、今の私にしかないものがあるんだなって。
誰に認めたり理解してもらうでもなく、自分自身がちゃんと気づいて、受け入れていかなきゃいけないんだなって思った。
過去の自分が持っていたものを『いいな』って羨ましがってるんじゃなくて、未来の可能性を想像して『こんな風になったらいいな』って待ってるんじゃなくて。
ちゃんと、今の自分が持ってるものを受け入れて、自分が目指したい場所に向けて、今の自分ができることを考えて、動いていかなきゃいけないなって思った。
今日はただ、そんなブログ。