こんにちは、愛弓です。
先日、【読みたいことを、書けばいい。】という本を読みました。
今回は、
- この本を購入するまでに考えたこと
- 実際に読み終わってから感じたこと・考えたこと
この2つを書いていこうと思います。

- 否定・批判してる人がいたとしても、興味を持ったなら、自分の感覚を信じてみよう。
- 好きな人もいれば、苦手な人もいる。『ちょっと苦手かも…』と感じても、それをどう楽しめるか?
- 書きたいことを肯定して、背中を押してくれる本だった。わたしは読んでよかったと思う。
- 読書が苦手なのではなく、”自分に必要な部分”や感情がこもる部分以外に興味がないだけ。
- 自分の思考をメモすることで、自分の本心に気づける。
今回は、とにかく思いついたことを書いていったので…いろんなことを考えたよ(^^)
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【読みたいことを、書けばいい。】の購入まで。
きっかけは、糸井重里さんだった
本屋さんをフラフラしてた時、ふと視界に入ったのが【読みたいことを、書けばいい。】でした。
正直、タイトルには興味もなく、ぼーっと眺めていました。
帯に【糸井重里】の文字を見た時、『あ、糸井さんの文章好きなんだよな…糸井さんは、どんな本を読んでるんだろう?』と本を手に取りました。
それが、【読みたいことを、書けばいい。】との出会いでした。
目に飛び込んできた文字と、その前後だけ読みました。
なんだか、ブログを書き始めたころの考えを肯定されたような気がしました。

あぁ、やっぱそれでいいんだな。
いいんだよね…
たった数ページしか読んでないけど、なんだか自分のために用意された本のような気がして…『欲しいな』と思いました。
ネットの情報より、自分の感覚を優先したかった
もちろん、『欲しいな』と思った本を衝動買いしてしまうこともあります。
20代まではそうでした。
購入しただけで満足してしまって、読むこともなく捨てた本が何冊もありました。
なので最近は、衝動的に本を購入することが減りました。
購入前にネットで検索しながら、『本当に読みたいの?』『本当に必要なの?』と考えることも増えました。
今回も、『購入したい』という気持ちをぐっと抑え、ネットで検索してみました。
ネットで検索すると、いろんな人が本の感想を書いていました。
中には否定的な感想もあって…購入を迷ったりもしました。
『これ以上、深く読む必要はあるのかな?』と考えたりもしました。
だけど、『でも、もしかしたら…』と期待する気持ちがあったので、購入することにしました。
たぶん、『でも、もしかしたら…』という期待は、実際に本を読んでみたいとっ消えることはないと思ったんですよね。
それに、ネット上にあるどの口コミよりも、立ち読みした時の自分の感覚を信じたいと思ったんですよね。
『つまらない』『ためにならない』という人がいたとしても、自分が『読んでよかった』と思えたら、それは自分にとっての素敵な1冊なんですよね。
私は、【読みたいことを、書けばいい。】という本を読んだ読んだ時、ブログを始めた頃に自分が感じてたことを肯定されたような…そんな感覚がうれしかったんですよ。
『しっかり読めば、もっといい言葉があるかもしれない』
そんな期待を胸に、【読みたいことを、書けばいい。】を購入しました。
実際に読んでから思ったこと
ここからは、実際に【読みたいことを、書けばいい。】を読んで感じたことを書いていこうと思います。
口コミにあったように…好きな人もいれば、苦手な人もいると思った
先にマイナスなことを言ってしまうと…
初めの数ページで、『響く人には響くだろうけど、言い回しが苦手な人もたくさんいそうだな…』と感じました。
ネット上にあったいい口コミにも共感できる部分はありました。
逆に、批判的な口コミも、『なるほどな~』『そう感じる部分もあるよね(^^;』と納得する部分もありました。
正直なところ、私も言い回しは苦手な部分もありました。
誰かが『おもしろい』と感じる表現も、私はあまり興味を持つことができず、読み流した…というのが正直なところです。
たぶん、初めから順番に読んでいったら、数ページで読むのをやめていたと思います。
でも、先に数ページ読んでいて、自分のとって必要なメッセージがあるのを感じていたので、それを楽しみに読みすすめていきました。
”自分の必要なメッセージ”をちゃんとキャッチできれば…それを必要としてる人には、ものすごくいい本だなと思いました。
もちろん、著者の人と同じ温度で、同じように楽しめる人もいるでしょう。
でも、そうでない人もいると思います。
否定的な感情が先行してしまって、自分に必要なメッセージに気づけなくなってしまうのは、もったいないなと思います。
なので、読み初めに『ちょっと苦手かも…』と感じた人は、事前にさらっと目次を読んで、なんとなく気になる部分を1か所でも見つけておくのもおすすめです。
読んでよかった! 自分の書きたいことを肯定して、背中を押してくれる本だった。
さきに言ってしまうと、私は『この本を読んでよかったな』と思っています。
それは、私がもともと『書きたい』と思っていたことを肯定して、背中を押してくれる部分がたくさんあったから。
私にとっては、自分のやりたいこと(書きたいこと)を肯定して、背中をおしてくれる本だったんですよね。
【読みたいことを、書けばいい。】を読んで印象に残った4つの言葉と、それを通じて私が考えたことは、こちらの記事に書いてあります。
お時間のある方がいれば、こちらもどうぞ。

じっくり読んだことで、気づけたこと
私が『この本を読んでよかったな』と思ったポイントは、初めに読んでいた数ページ(印象に残った4つの言葉)でした。
それ以外の部分に関しては、興味を持てないものもあり、本を読むことに集中できない時間もありました。
正直なところ、『1650円もかけて、この本を買った価値があったのか?』と考えると、『う~ん』と思ってしまう部分もあります。
それは、私にとって大事だったのは、立ち読みした数ページだったから。
『すでに立ち読みしたものに、1650円を支払うのか?』と考えると、答えにくいものです。
だけどね、実際に購入して読んだおかげで、気づけたこともあります。
知識を得るのではなく、自分に必要な部分・感情を読んでるのかもしれない
私はいつも、『本を読むのが苦手だ』と思っていました。
”速読”という言葉を聞くたび、『みんなすごいな~』『私には絶対に無理だな…』と思っていました。
『読みたい』と思って購入しても、なかなか文字を読むすすめることができなくて、アンダーラインを引きながら、1文字1文字を心の声で読んでいく。
そうしなきゃ、本を読めない…自分はダメな奴なんだと思っていました。
でも、もしかすると違ったのかもしれません。
私はたぶん、その時の自分に必要な言葉を拾い集めて読んでるんですよね。
だから、そのあとに『読みたい』と思った本を読んでも、だしを取った後の昆布や鰹節のようになってるのかもしれないなって思いました。
もう自分の吸収したい”新しい言葉”が残ってないから、退屈に感じてしまうのかもしれないなって。うまく読めないのかもしれないなって。
もしもそうだとしたら、私は本を読むのが苦手で全く速読もできない子…ではないのかもしれないですよね。
そういうことに気づかせてもらえただけでも、この本を読んだ意味はあったと思います。
あ…さっき「だしをとった後の昆布や鰹節のようなものなの」なんて言いましたが、だしをとった後の昆布や鰹節にだって、まだまだ使い道があります。
自分の考えとは違う言葉に触れることでしか感じられないこと・考えられないこともあります。
自分の世界をひっくり返してくれる言葉があることもあります。
だから、『読んでみたい』と思った本を読んだり、著者の考えを知ることも素敵なことだなとも思います。
『なんか苦手だな』と思っても、それを手に取ることを決めたのは自分自身なんですよね。
だから、『読んでみようかな』と思った瞬間があったなら、読んでみるのもいいかもしれませんね。
あともう一つ、
私は文字を読んだり、知識を得るための読み物は苦手です。
そこに感情とか、著者の人の考えがあって…さらに、その感覚が自分とあっている部分がある時にだけ、集中して本を読んでいるような気がします。
もしかすると…文字だけを読んでいるのではなく、感情で読んでるのかも知れないなって。そんなことも思いました。
読んだ後のメモが、自分の気持ちを教えてくれた
今回は、【読みたいことを、書けばいい。】を読んだ後にブログを書きました。
読みながら考えたこと をブログに書いたおかげで、自分でも気づけなかった自分の気持ちに気づくことができました。
『わからない、わからない…』と悩んでることの答えを、実は自分自身が知っていて、それが言葉や行動に表れてることもよくありますよね。
ストレートにその気持ちを表現してることもあれば、その気持ちとは逆の行動をしていたり…人によっていろいろだとは思いますが(^^;
私は今回、ブログに書いたことで『今、1番書きたいのは、セラピストだった頃のことなんだな』と改めて気づくことができました。
私自身、『セラピストだった頃のことを書きたい』という気持ちがあることは、ずっと気づいていました。
でも、時間がたつにつれて、それが”本当にやりたいこと”なのか、セラピストだった過去にしがみついているだけの執着のようなものなのかがわからなくなってたんですよね。
本当にやりたいことなら、そのままやった方がいいんです。
でも、過去にこだわりすぎていたり、ただの執着のようなものになってるだけなら…何かが違うなって。
そんなことを何度も何度も考えていました。
だけどね、この本を読みながら、無意識のうちに考えていたのは、セラピストだった頃のことばかりなんですよね。
思い返してみれば…他の本を読んだり、誰かの書いたブログを読んでいても、いつもイメージするのはセラピストだった頃のことばかりでした。
多分それは、ただの執着ではなくて、本当にやりたいと思ってることのように感じました。
ブログを書き始めるよになって、セラピストとして持っていた自信をへし折られるような出来事がたくさんありました。
”自分の感覚”を表現することが、ものすごく恐くなりました。
いつのまにか、好きなもの(癒し)に触れなくなって、自分の殻に閉じこもるようになりました。
心の柔らかいところが傷つけられないように守るためには、そうやって自分の本心を隠すしかなかったんですよね。
好きなものに触れることも、表現することもできない…それは、色のない世界で、ただ日々が過ぎるのを待つだけの、退屈な世界でした。
自分の感情も、感覚も…何もわからなくなっていく。
そんな状態だったから、自分の『やりたい』という気持ちが本心なのかがわからなくなていたのかもしれません。
ここ1か月ほど、『セラピストだった頃のことを書きたい』という気持ちに触れながら、『本当にやりたいことなんだな』と改めて感じています。
もしもこの本を読んでいなくても、何かのきっかけで気づいたでしょう。
でも、本を購入したことでブログを書くことになり、ブログを書いたおかげで、このタイミングで気づけたんだなと。
そう思うと、この本を買ってよかったなと思います。
ブログを書く以前の私は、本に直接書き込んでいました。
関係のないことも、思いついたことを本にメモしてみる…という感じ。
悩んだり、自分の方向性を見失いかけた時、その文章とメモが、本来の自分に立ち返らせてくれることもあります。自分の本心に気づかせてくれることもあります。
(それは、すぐにわかることではなくて…数年後、過去の自分が書いたメモにハッとさせられることもありました。)
『本が汚れるのは嫌だ』と思っていた時期もあります。
書き込みをしてると、処分するときに売れにくくなってしまいます。
でも、そこにメモを残すことで、自分のための、自分だけの1冊になるんじゃないかなって。そんなことも思います。