こんにちは、愛弓です。
[読みたいことを、書けばいい。]を読んでからいろいろと考えさせられていますが…そろそろ、この流れも終わりそうな気配がしてきました。
先日、[読みたいこと]ではなく[書きたいこと]について考えてることに気づいたので、自分が読みたい(好きな)文章を振り返ってみました。
そうしたら、自分がどんな風に書いていきたいのかが見えてきて…バランスを崩したまま進もうともがいてたことに気づきました。

今回は、
読みたいこと(自分が好きな文章)を振り返ってみたら、どんなふうに書いていきたいかが見えてきたよ
というお話をしていきます。
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[読みたいこと]と[書きたいこと]の境界線がわからなくなってることに気づいた
たぶん私の中には、”書きたいこと”と”読みたいこと”の明確な線引きがないんですよね。
どちらかというと、世間一般でいう”書かなきゃいけないこと”・”自分が書きたいこと”という2つが存在していた感じ。
考えてみれば、セラピストだった頃も、自分が受けたいものも、お客様に必要だと感じるものも、自分がやってみたいことも…そこには境界線なんてなかったんですよね。
人のためにやってあげたいことと、自分がやりたいこと。その2つの間にも、明確な線引きなんてなくて…
”人のため”と”自分のため”の違いが判らないまま、人のためにやってることまで『自分のわがままだから』と思い続けてきた。
そんな状態だったような気もします。
だから、自分らしく表現できない・理解されないもどかしさを感じていたのかもしれません。
あ…ちょっと脱線してますね(^^;
今回はね、
[読みたいことを、書けばいい。]という本を読んだ後、本の内容だけじゃなくて、購入までの心の葛藤・ブログを書いたこと、Twitterでつぶやいたこと…そういうことを通じて、いろいろと考えさせられたような気がしました。
ブログを書きながら、『あぁ、私はこんなことを考えていたんだな~』と自分の気持ちに気づいて…そんな体験に満足しているような感覚がありました。
自分の中でひと段落したところで、他の人がどんなことを考えたのか気になり、いくつかのブログを読んでみました。
そしてふと、大事なことを見落としてることに気づきました。
この本に書いてあったのは、[書きたいことを、書けばいい。]ではなく、[読みたいことを、書けばいい。]だったんですよね。
[書きたいこと]ではなく、[読みたいこと]なんですよ。
たぶん私は、この本を読みながらずっと、[読みたいこと]ではなく[書きたいこと]を想像していました。
それに気づいてから、『あれ? 私が読みたいことって何だったかな?』と考え始めました。
役立つことを意識して、バランスを崩した状態だった
ブログを書きはじめた時、思いました。
『ただ、自分の体験してきたこと・思考…自分のすべてをさらけ出したい』と。
セラピストだった頃に私が体験し、感じてきた”日常”というやつは、他の職業の人からすると不思議な世界かもしれません。
セラピスト仲間に出さえ、「こんな人、初めて見た~」と驚かれたり、新しい発見のようにビックリされたことも何度もありました。
なんとなく、私の『普通』と思ってることは、他の人にとっての普通ではないことを感じるようになって。
私が普通の話をしただけなのに喜んでくれたり、その中から新しい発見をした利する人を見ながら、自分の体験を伝えることにも意味があるのだと感じるようになりました。
でも私は、ある人の言葉がきっかけで、
『[書きたいことを書く]というのは、自己中で、独りよがりで…自己満でしかないんだな』と思いました。
人に読まれることが恐くなって、誰にも読まれることのない孤独な場所で、一人でブログを書くようになりました。
自分が傷つかないように、自分の殻に閉じこもったんですよね。
人に読まれることを意識するようになると、今度は『誰かの役に立つ文章を書かなきゃいけない』と妙に意識するようになりました。
- 簡単に答えなんて出ないようなことに、まるで答えがあるかのようにふるまったり。
- 窮屈な世界から飛び出したくて、強い口調でなにかを否定するような文章を書いてみたり。
- 『誰か読んでよ!』みたいな思いをのせた文章を書いて、読んでくれた人数や反応によって文章を変えてしまったり。
- 理由なんて無数にあるのに、たった1つ2つを取り上げて、思考でしばりつけた文章を書いてみたり。
でも、そこにあったのは自分にとって心地いい文章ではなくて、バランスを崩した自分だったんですよね。
バランスを崩したままでは、うまく歩いていけないんですよね。
ふらふらしたり、疲れたり…私はまさに、そんな状態で文章を書くことができなくなっていました。
『書かなきゃ、書かなきゃ』と焦る気持ちとは裏腹に、同じことがグルグルして、何を書いていいかもわからず、書くことから逃げ出したい自分がいました。
『私って、そんな文章が好きだったかな??』って考えてみる
『ねぇ、私ってどんな文章が好きだったかな?』
もう1度、自分に投げかけてみました。
日常的で、ほっこりするブログが好きだった
あぁ、そういえば…
家族のこととか、日常的なものを書いたブログが好きだったな。
そこには答えなんてないし、自分にプラスに働いてるのかなんてわからない。どんな価値をもたらしてくれてるのかもわからない。
でも、家族と向き合ってる姿とか、子供たちの話とか…なんだかほっこりして、温かい気持ちになったな。
昔の自分を思い出したり、『あぁ、お母さんってこんなこと考えてたんだな』なんて考えたり…そうやって、自分の中の思い込みに気づくこともあったな。
きっと、そのブログを書いてる人にそういう意図があったわけじゃないと思う。
でも私は、そういう日常的なブログが好きだし、それを読みながら、自分の中でいろんなことを考えるのが好きだったな。
もしかしたら、私が”読みたいこと”は、答えのある物じゃないのかもしれないな。
…そういえば、ブログを書き始めた時は、自分の体験してきたことをそのまんま書きたいだけだったな。
誰かに教えたいとか、役に立たなきゃいけないとか、利益とか…なんもなかったな。
「そんなんじゃダメだ」と呼んだこともない人たちに言われ続けて、いつの間にか、自分ら好き書けなくなってたのかもしれないな。
頭で考えるのではなくて、もっと自分の感覚をシンプルに表現していきたいな。
そういうごく普通の共感できることとか、ごく普通に見えても自分にとっては普通じゃなくてハッとさせられることとか…私は、そういう文章が好きだな。
自分の心に向き合っている文章が好きだった
あぁ、そういえば…
私は、自分の内側にある葛藤とか、心の動きとか…そういうものを書いてる文章が好きだったな。
それが正しい時もあれば、間違ってることもある。時には、批判されてしまうこともある。
でも、必死に自分と向き合ってるブログが大好きだったな。
『あぁ、なつかしいな。そんなときもあるよね~』
『まだまだ若いな…w』
『あぁ、もどかしい! 教えてあげたいよ。…早く気付かないかな?』
読んでると、なんだかかわいくてしょうがないんですよね。
いつのまにか親近感がわいちゃってる。
でも、たまにハッとさせられるんですよね。
『そんな考え方もあったか!』とか『そんなことができちゃうんだ! すごいな~』とか思ったり。
自分の中で必死にもがいて、葛藤して…そんな姿を見せてきた人が成長していく瞬間って、ものすごくうれしいんですよね。
『もしかしたら、自分にもできるんじゃないかな?』
『こんなに頑張ってる人がいるんだもん。私だって頑張んなきゃな』
そんな風に、勇気をもらえたり、背中を押してもらえる瞬間がある。
そういう文章が、すごく好きで、引き込まれてしまうんですよね。
彼らが、それを狙っているかなんてわからない。
もしかしたら、彼らが利益を得ているのは、そういう文章ではなくて、他の記事かもしれない。
でも私は、そういう人間らしい文章が大好きだなって。
もしかしたら、そこにも巧妙なテクニックみたいなものがあって、それに誘導されているだけなのかもしれない。
でもなんとなく、彼らはそんなことを考えていないような気がするし…。
『ちょっと不器用だな』っていう、その人間臭さがすごく好きなんですよね。
自分が好きな文章を振り返ってみたら、どんなふうに書けばいいかが見えてきた。
ここまで、”私自身が、どんな文章を好きだったか”を振り返ってきました。
私が心惹かれるのは、誰かに知識を与えたり、人の役に立つ文章じゃなかったんですよね。
日常的でほっこりするようなブログとか、自分の心と必死に向き合ってるようなブログが好きだったんですよね。
そして私は、自分の内側にはいっていく文章を書くのが好きなんです。
正しい答えなんてないかもしれないし、誰のためになるかもわからない。
それでも、良い・悪いではなく、自分の内側にあるものを表現していきたいんです。
うまく表現できる言葉がわからなくてもどかしいんだけど…私は、そういうブログを書いていきたいと思う。
ここ1か月ほど、『セラピストだった頃のことを書いていきたいな~』という思いは強くなっています。
でも、何から書けばいいのか、どんなふうに、誰に向けて書きていいのかがわからなくて、なかなか書けなかったんですよね。
でもね、”自分が好きだったブログ”を振り返ったことで、誰かに向けて、役立つような文章を書く飛鳥はないのかもしれないなと思いました。
それよりも、自分が体験してきたこと・感じてきたこと…そういうものをただ書いてみたいなって。
それを『読みたい』と思ってくれる人がどれだけいるかなんてわからないし、それを読んだ人が何を感じるかもわからない。
ただ、私が『読みたい』と思うものがあるとすれば、そういうブログだと思う。